東京高等裁判所 平成5年(ネ)452号 判決 1993年12月22日
控訴人
岩崎正一
右訴訟代理人弁護士
尾崎陞
被控訴人
橋本輝雄
右訴訟代理人弁護士
柏崎正一
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 被控訴人は控訴人に対し、金一二九二万七七八九円及び内金一一八〇万六三〇〇円に対する昭和六〇年七月二二日から、内金一一二万一四八九円に対する平成二年九月七日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は一、二審を通じ被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、金一二九六万四四三九円及び内金一一八〇万六三〇〇円に対しては昭和六〇年七月二二日から、内金一一五万八一三九円に対しては平成二年九月七日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 仮執行宣言
二控訴の趣旨に対する答弁
控訴棄却
第二当事者の事実の主張及び証拠
一当事者双方の事実の主張は、当審における新たな主張を次のとおり付加するほか、原判決の「事案の概要」欄記載のとおりである(一部証拠によって認定する事実についての当裁判所の判断も原判決と同じである。)から、これを引用する。
1 被控訴人(相殺の抗弁)
(一) 預金及び現金の支払請求権による相殺
控訴人は、亡父新太郎に関する相続財産の一部として、次の預金及び現金を保管している。
(1) 三菱銀行上原支店普通預金
三七万〇三一八円
(2) 東海銀行日本橋支店普通預金
一一万一一二四円
(3) 現金 二一〇万〇〇〇〇円
被控訴人は、新太郎の相続人として二分の一の相続分を有するから、右金額の二分の一である一二九万〇七二一円につき控訴人に対し支払いを請求する権利があるので、第一審で主張した相殺が認められない場合には、右請求権をもって控訴人の本訴請求中一一二万一四八九円の不当利得返還請求権(固定資産税及び都市計画税の立替え分)と対当額において相殺する。
(二) 損害賠償請求権(弁護士報酬)による相殺
(1) 被控訴人は、昭和六二年二月九日控訴人から違法な仮処分決定の執行を受けたので(<書証番号略>)、その取消を求めるため被控訴人代理人に依頼して、同年三月二三日右仮処分決定に対する異議申立訴訟を提起した(東京地方裁判所昭和六二年(モ)一二〇〇〇号事件)。
(2) 東京地方裁判所は、昭和六三年一〇月四日被控訴人の申立を認め、右仮処分決定を取り消す判決を言い渡し(<書証番号略>)、同判決は、控訴人が控訴しなかったので、確定した。
(3) 控訴人は、昭和六二年二月一三日被控訴人に対し右仮処分の本案訴訟を提起したので(東京地方裁判所昭和六二年(ワ)第一八〇九号土地建物持分移転登記請求事件)、被控訴人は、これに対する応訴についても被控訴人代理人に依頼し、同訴訟は、平成元年一月三一日控訴人の請求を棄却する判決が言い渡された(<書証番号略>)。
(4) 被控訴人は、右仮処分取消手続の弁護士報酬として、平成元年二月四日被控訴人代理人に対し、二〇〇〇万円を支払った(<書証番号略>)。被控訴人が支払った右弁護士報酬は、控訴人が違法に仮処分決定を得て、これを執行した不法行為によって被控訴人が受けた損害というべきであるから、控訴人は被控訴人に対しこれを賠償すべき義務がある。
(5) 被控訴人は、従前主張した相殺が認められないならば、右損害金二〇〇〇万円及びこれに対する前記支払日の翌日である平成元年二月五日から平成五年一一月一六日まで年五分の割合による損害金四七八万〇八二一円、合計二四七八万〇八二一円の損害賠償請求権をもって、控訴人主張の本件不当利得返還請求権と対当額において相殺する。なお、被控訴人が控訴人を被告として損害賠償訴訟を提起し、これが係属中であることは控訴人主張のとおりであるが、この別訴は損害のうちの四〇〇〇万円について賠償を求める一部請求であり、本訴において相殺の自働債権とするのは別訴請求額を超える部分であるから、最高裁平成三年一二月一七日第三小法廷判決に抵触するものではない。
2 控訴人(相殺の抗弁に対する答弁)
(一) 被控訴人主張の(1)三菱銀行上原支店普通預金及び(3)現金は否認する。
同(2)東海銀行日本橋支店の普通預金は、相続人全員の協力がないと払戻を受けることができない。被控訴人の協力があれば、いつでも払戻手続をして分割するにやぶさかではない。
(二) 被控訴人主張の右相殺の抗弁(二)は時機に遅れた攻撃防御方法である。
仮に右主張が時機に遅れた攻撃防御方法でないとすれば、別件訴訟及び仮処分手続の経過が被控訴人主張のとおりであることは認めるが、控訴人が右仮処分決定を得てこれを執行したことが不法行為に該当するとの主張は否認する。被控訴人が被控訴人代理人に報酬二〇〇〇万円を支払ったことは知らない。
(三) 被控訴人は、控訴人が債権者となって被控訴人を債務者として申し立てた東京地方裁判所昭和六二年(ヨ)第四五七号不動産仮処分事件において仮処分決定を得て、これを執行したことが不法行為に当たり、二億五二六〇万円の損害を被ったとして、被控訴人を被告として訴を提起し(東京地方裁判所平成二年(ワ)第六七六四号損害賠償請求事件、控訴審東京高等裁判所平成五年(ネ)第九六五号事件)、訴訟が係属中であるから、本訴において同じ請求権を自働債権として相殺を主張することは許されない。なるほど、右の別訴における請求の趣旨として求めているのは四〇〇〇万円の限度ではあるが、請求原因としては二億五二七〇万円の損害を主張しているのであり、同じ原因に基づく損害賠償請求権の一部を本訴で自働債権として相殺を主張することもできないというべきである。
二証拠の関係<省略>
第三判断
一相続及び控訴人による相続税等の納付等について
新太郎の死亡と控訴人及び被控訴人が新太郎の遺産を二分の一ずつ相続したこと及び控訴人が相続税及び本件土地建物の固定資産税及び都市計画税を納付し、本件建物の水道料金を支払ったことは、すでに判示した(原判決書一枚目裏一一行目冒頭から二枚目裏末行まで)とおりである。
二不当利得に基づく返還請求権の成立について
1 控訴人が被控訴人名義でした相続税の申告が被控訴人の申告として適法有効なものと認められないことは、原判決が「争点に対する判断」一、1、2(原判決書六枚目表六行目から裏七行目まで)に説示するとおりであるから、これを引用する。
2 しかし、右相続税申告の当時双方の間で遺産分割の協議が調っていなかったことはこれまでに判示したとおりであるところ、相続税法によれば、各相続人の相続税額は、全相続人の相続税の総額(相続税法一六条)に、当該相続人が取得する相続財産の課税価格の全相続財産の課税価格の合計額に占める割合を乗じて算出した金額とされているが(同法一七条)、相続人間で遺産分割の協議が調っていないときは、各相続人は、相続財産につき法定相続分に従って計算した額により相続税を申告しこれを納付すべき旨定められており(同法五五条)、かつ、その申告期限は相続のあった日の翌日から六月以内とされている(同法二七条一項)。そして、申告義務者から申告がないときは、税務署長は、その調査により税額を決定することとなる(国税通則法二五条)のであるから、控訴人が被控訴人名義の申告をし、納付しなかったとすれば、当然これにより相続税を納付しなければならなかったはずである(ちなみに、相続税の申告書の提出先は、相続税法附則第三項の規定により、すべて当該被相続人の死亡の時における住所地の所轄税務署長となる。)。したがって、控訴人の被控訴人名義による申告が適法有効であるかどうかにかかわりなく、被控訴人は控訴人の損失により同額の利益を得たものと解するのが相当である。被控訴人もその本人尋問において、昭和五九年一二月三一日に被控訴人方を訪れた控訴人とその顧問税理士梅岡から、相続を放棄してもらいたいとの要望を受けたことは認めており、少なくとも自らの相続のことには関心を持っていて、相続税のことも知っていたと考えられるのに、相続税法に従い自らその相続税につき申告、納付すべき義務を履行しないでおいて(今日まで全く本件相続税の申告も納付もしていないことは被控訴人も認めている。)、不当利得を否定することはできないというべきである(被控訴人は、自ら二分の一の相続権を主張するのなら、控訴人の申告とは関係なく進んで申告をし、相続税を納付するのが当然である。正当の事由がなくて提出期限内に申告書を提出しなかった者は、相続税法六九条の規定により無申告犯として処罰されることにもなっている。被控訴人が尽くすべき当然の義務を尽くしさえすれば、税務署長が調査をして課税決定をする必要もないし、控訴人も過誤納付を理由に還付請求もできたのに、被控訴人はなんら義務を尽くさなかったため、税務署長が決定することもできず、被控訴人は課税を免れ、控訴人も還付請求をすることができない事態になってしまったというのが本件の実相である。)。
3 以上のとおりであって、被控訴人は、自ら申告、納付すべき右相続税額につき、控訴人の出捐により、法律上の原因なく利得したものと認めるのが相当である。また、被控訴人が負担すべき固定資産税及び都市計画税、水道料金等について控訴人が納付しあるいは支払った分も、被控訴人が法律上の原因なく利得していることは、前記事実により明らかである。
二相殺の抗弁について
被控訴人の相殺の抗弁はいずれも採用しがたい。その理由は以下のとおりである。
1 違法仮処分執行を理由とする損害賠償債権による相殺の主張について
被控訴人は、控訴人の違法な仮処分執行という不法行為により損害を被ったとして、その損害賠償債権をもって控訴人の本件不当利得返還債権と対当額で相殺する旨主張する。
しかし、被控訴人は、別訴(東京高等裁判所平成五年(ネ)第九六五号事件)において控訴人に対し右と同じ不法行為に基づく損害賠償債権を主張してその支払いを請求していることは争いがないところ、係属中の別訴において訴訟物とされている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは許されないと解される(最高裁判決平成三年一二月一七日民集四五巻九号一四五三頁参照)から、被控訴人の右相殺の抗弁は失当である。
なお、被控訴人は別訴における訴求と本訴における相殺の自働債権は、同じ不法行為に基づくものではあっても、その一部請求と残部請求の関係にあるから、本訴において相殺の主張をすることの妨げにはならないと主張する。しかし、被控訴人の主張する別訴の請求と本訴における相殺の自働債権は、その請求の基礎を同じくするものであって、単にその量的(金額的)範囲がどの範囲まで認められるかにすぎないものであり、別訴において請求拡張の余地も残されているだけでなく、別訴についての裁判所の判断によって不法行為の成否のほか、一部請求であるかどうかも決せられるという関係にあるから、裁判所の判断の抵触を避けるために他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは許されないとした前記最高裁判所の判例の趣旨に照らして、被控訴人の主張は採用することができない。
2 預金、現金等の支払請求権による相殺の主張について
被控訴人は、前記のとおり控訴人が亡父新太郎の遺産である預金及び現金を保管しているとして、そのうち法定相続分である二分の一について、控訴人に対し支払請求権があると主張する。
新太郎の遺産に前記預金中(2)東海銀行日本橋支店の普通預金が含まれていたことは、控訴人も明らかに争わないし、<書証番号略>によれば、控訴人はこれをそのまま保管していることが認められるが、(1)三菱銀行上原支店の普通預金及び(3)現金については、<書証番号略>の相続税の申告書には記載されているものの、<書証番号略>の修正申告書では右の記載は訂正されていることに照らして、<書証番号略>の記載をもって右預金及び現金を控訴人が保管していると認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
ところで、相続人である控訴人と被控訴人の間で新太郎の相続財産について遺産分割の協議が調っていないことは先に判示したとおりであり、弁論の全趣旨によれば、控訴人が新太郎の遺産である東海銀行日本橋支店の普通預金を保管しているのは、未分割の遺産として保管しているものと認められ、被控訴人が銀行に対して払戻請求をすることについては、控訴人はなんら異論はないというのであるから、被控訴人としては未だ控訴人に対しその支払を求める権利があるとまでいうことはできないものといわなければならない。
3 弁護士報酬
被控訴人は、さらに、前記仮処分の取消を求めるために委任した弁護士に対し支払った報酬も違法な仮処分執行による損害として、その損害賠償請求権をもって控訴人の本件不当利得返還請求権と対当額において相殺する旨主張する。
控訴人は、右相殺の主張は時機に遅れた攻撃防御方法であるとして却下を求めるが、被控訴人の右抗弁の当否を判断するため格別新たな証拠調を要するものではないから、控訴人の右主張は採用の限りでない。
しかし、被控訴人が相殺を主張する自働債権は、前記1に判示したのと同じ仮処分執行を不法行為とする損害賠償請求権に外ならないから、すでに判示したとおり別訴における判断と抵触するおそれがあるものといわなければならず(別訴の損害賠償請求が棄却されるときは、弁護士費用も損害とは認められない関係にある。)、本訴における抗弁として右損害賠償請求権をもって相殺する旨主張することもまた許されないものと解するのが相当である。
三そうすると、控訴人の本件請求は、控訴人が納付し又は支払った相続税一一一九万九六〇〇円、その本税修正分五七万八二〇〇円、加算税二万八五〇〇円の合計一一八〇万六三〇〇円と、固定資産税及び都市計画税二一七万〇八四四円、水道料金七万二一三五円合計二二四万二九七九円の二分の一(円未満切捨て)である一一二万一四八九円との合計一二九二万七七八九円、並びに内金一一八〇万六三〇〇円に対する昭和六〇年七月二二日から、内金一一二万一四八九円に対する平成二年九月七日からそれぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金を求める限度で正当であるから認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。なお、仮執行宣言を付するのは相当でない。
よって、右と異なる原判決を右のとおり変更することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上谷清 裁判官 小川英明 裁判官 滿田明彦)